カテゴリー「般若心経」の6件の投稿

2013年6月 7日 (金)

遠離一切顛倒夢想

般若心経より

〝遠離一切顛倒夢想〟

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幽霊の 正体みたり 枯尾花



顛倒とは、考え方が逆立ちしていること、間違った考えのことです。


人の世が、無常であるのに常にあると思うこと

苦に満ちているのに楽しいことだと考えること

人間本位の自我は無我であるのに我があると思うこと

不浄なものを浄らかなものだと思うこと

この常、楽、我、浄の4つの間違ったものの見方を

凡夫の四顛倒といいます。

そして夢想とは、夢のようなつまらない思いごとのことです。

余計な思いをもつが故の「幽霊の 正体みたり 枯尾花」となるわけです。

心に恐怖があり、いらざる思いごとがあるから、ススキも幽霊ではないかと、

間違ったことを考え、つまらないことを思ってしまう。

私たちが迷い苦しむのは、顛倒した考えにとらわれているためといいます。

こういった顛倒した考え方すべてから離れる、逆さまの心を本来の姿に戻すと

いうことが遠離一切顛倒夢想ということなのです。

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雫のなかは 逆さまの世界

そして〝涅槃究竟〟へと続くのです。また次の機会に書きたいと思います。



参考図書 「般若心経」 山田無文 著 禅文化研究所

2012年6月13日 (水)

一点のこだわりなし

久しぶりの 般若心経特集 です。 

 

今日は般若心経のなかの 「無色声香味触法」 を取り上げます。

 

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眼耳鼻舌身意 を 六根 と言います。 

そしてその 六根 の対象になる世界が 色声香味触法 といい、

六境 と申します。

 

   山へ登る方は「六根清浄、六根清浄」といって登られますが、

   目は自然の景色を眺め、花の色を眺め、

   耳は谷川の音を聞き、小鳥のさえずりを聞き、

   鼻は草木の臭を嗅ぎ、

   舌は六根清浄と唱え、

   身体は涼しい風を受け、

   心には何も思う事がない。

 

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清浄な心で山に登って御来光を拝む、これが日本の山登りの宗教

ですが、この清浄という事が、仏教の空という事になると思います。

                                           

山登りに魅力を感じる人が多いのは、一心に登り、濁りのない心で

爽快感のもと、山頂に立てるからかもしれませんね。

 

眼耳鼻舌身意も無く、色声香味触法も無し。

「空という世界には、一点のこだわりもない」ということです。

                                         Ⓚ

 

 

 

 

 

 

 

2012年4月12日 (木)

『空の教え 宇宙』~般若心経~

舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。

受想行識。亦復如是。

  

お釈迦様は、この世の中は神が創ったものでもなく、単なる

自然でもなく、偶然でもなく、運命でもなく、はっきりとした因果関係

の法則によって動いているのだ、という説をお説きになっています。 

 

 

 

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私たちの身体は、昔の言葉でいうと、地水火風。

科学的にいうと、百いくつの元素が出入りして、この個体が毎日

維持されています。

 

 

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だから私たちの身体は、いろいろなものの集まりであって、そこに

自我はないということになります。

 

 

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「諸法は因縁によって生ずるが所以に自性なし」

この自我も実は、あってもないに等しいものであり、ないかと思うと

あるものなのです。

 

 石川啄木の歌にこういうものがあります。

『世の中に ほんとに欲しいと 思うもの

                    あるようでなし キセルを磨く』

                                         Ⓚ

 

2012年4月 5日 (木)

人生最後の目的  ~般若心経~

観自在菩薩深般若波羅蜜多時  

照見五蘊皆空度一切苦厄

 

自由に真理を観る目の開けた菩薩は、その深い英智に依って、   

肉体も精神も、すべて空であると達観して、一切の苦悩災厄   

から免れる、という意味です。 

般若心経は、普通のお経と異なって、冒頭に説法をされた 

観音菩薩の名前があげられています。

観自在菩薩という菩薩は、自分を忘れ世界を忘れるというところに、 

お互いの自由なこころのあり場所を発見する菩薩です。

 

坐禅や念仏に限りません。踊りでも謡でもピアノでも、自分の

指を忘れてピアノを弾く、体を忘れて野球になりきるなど、

自分の体も精神も忘れた時が、人間は一番幸せな時であって、

苦しみのない時です。

自分を忘れて、自分の苦しみを忘れて、世のため人のために

はたらいていくのが観世音菩薩です。

そうなっていくのが、人生最後の目的でしょう。

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                                                         慶明寺   ソメイヨシノ

自分のこころがいつも落ち着いて、和やかでたのしんでいるから、 

世の中のために喜んで奉仕していくことができるのです。

 

これが観世音菩薩であり、観自在菩薩ですが、これは他人のこと

ではなく、ご自身のことだと考えてみてください。

                                         Ⓚ

 

2012年4月 2日 (月)

智慧と慈悲 ~観自在と観世音~

仏とは智慧と慈悲だといわれていますが、  

智慧を主体とするときには「観自在」で、 

慈悲という面からみたならば「観世音」と訳すことができます。 

 

観世音は、この世の中を観る、世間の人々の苦しむ声、  

哀れむ声をすべて聞きとって救われるということで、 

菩薩の慈悲の面からいわれたことになるでしょう。  

ここでの観とは肉眼ではなく、心眼でみることです~ 

観自在という時は、般若の智慧によって「一切の諸法は夢の如く、   

幻の如く、泡の如く、露の如し」と、すべては空なのだと達観した心境  

のことです。          般若心経 山田無文 禅文化研究所より 

般若心経は、般若の智慧を説かれた経典でありますから、観自在   

訳されているのです。  

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                 南無観世音菩薩

このことから今日は二つの話が思い浮かびました。   

まず、観世音からは聖徳太子の逸話です。 

本当に一度に十人の話が耳で聞けるのかといえば、たぶん無理   

でしょうが、彼は困っている人々の話を、心眼で聞くことができる   

慈悲深い人だったということではないでしょうか?  

そして観自在からは、かの有名なアンデルセンの童話「人魚姫」 

まっさきに頭に浮かびました crown virgo  

愛する王子を殺すことのできない人魚姫は、海に身を投げて泡となり、    

神様によって空気の精となって天国へ昇っていきました。 

自分の幸福は後まわしにしても、まず他の人を幸福にしてあげようと、 

思えた人魚姫は菩薩の仲間に入ることができ、仏になれたのだと私は   

思いました。   

宗教は違いますが、遠く離れたデンマークのアンデルセンも   

「すべては空である」と達観した心境だったのでしょう。 

                                          Ⓚ

2012年3月30日 (金)

般若心経

摩訶般若波羅蜜多心経」 

 

(まかはんにゃはらみたしんぎょう) 

 

~偉大なる智慧の真理を自覚する肝心な教え~

 

般若心経は数あるお経の中でも一番短いものだと言われており、

本文がわずか262文字しかありません。

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般若心経といえば、私は「耳なし芳一」が思い浮かびます。

小さい頃に読んで、その時は怖いものや困ったことなどから

守ってくれるお経だと幼心に感じたのを思い出します。

般若心経は649年に玄奘三蔵に翻訳されてから現在まで

1360年近く何千人という人に読まれてきているので、最も

広く普及されたお経でしょう。

これだけ多くの人に読まれているということは、やはり何か

人を惹きつけてやまない、仏教のもっとも肝心な心理が

盛り込まれているということがわかります。

この矛盾だらけの世の中におりながら、しかもその苦しみから 

解脱をし、そういうこだわりから救われ、自由を得ていく。  

何ものにもこだわらず、力強く、たくましい意識で生きていく 

ことができる。

そうわかることが摩訶般若だそうです。

これから、少しずつ、この教えをお伝えしていきたいと思っています。

               参考文献  「般若心経」 山田無文 禅文化研究所

 

                                            Ⓚ

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